FAZER LOGIN脳内に浮かぶ彼の指使いに合わせながら、僕は自身に指を這わせる。優しくなで、時に激しく上下させる。自分で触れているはずなのに、彼に触れられているように感じた。錯覚なのは、わかっている。けれど、彼に出会う前の自慰よりも快楽を感じていた。
何度目かの絶頂の後、僕は荒い息のまま脱衣所に向かった。収まることを知らない下半身の疼きから、解放されたかった。
肌に擦れる布の感触が、完全には引いていない熱を呼び戻す。敏感すぎる感覚を恨めしく思いながら、僕は服を脱いで風呂場に入った。
熱いシャワーを頭から浴びていると、体内に残っている衝動がゆっくりと鎮まるのを感じた。シャワーの音を聞きながら、あれは事故だったのだと、心の中で自分に無理矢理、言い聞かせる。
ざわついていた心が落ち着きを取り戻し、僕はシャワーを止めた。その瞬間、背中を水滴が流れ落ちていった。背筋を這う相沢さんの指の感触が、一気に蘇る。
「ひぅっ……!」
思わぬ声が漏れ出て、咄嗟に口に手を当てる。
「くそっ……!」
悪態をつき、頭をかきむしる。シャワーだけでは、解放されないのか。
(……そうだ! ジムに行こう!)
こういう時には、体を動かすのが一番いい。
おろし立ての服に着替えた僕は、車で馴染みのジムに向かった。
ジムの受付で会員証を見せて、更衣室に移動する。持ち込んだ服に着替えて、トレーニングスタジオに入ると、いつもより利用客が多い。今日が土曜日だから、というのもあるのだろう。
「相馬さん、こんにちは! 今日は、どんなメニューにしますか?」
背の高い男性に声をかけられ、わずかに肩を震わせた。のどが締まり、息が止まる。
「……こんにちは」
僕は、何気ないふうを装って、にこやかにあいさつを返した。ぎこちない笑顔になってはいないかと、気が気ではない。でも、彼は気づいていないのか、僕の様子には触れなかった。
声をかけてきた男性は、インストラクターの九条《くじょう》さんだ。僕が初めてこのジムに入った時に、丁寧に教えてくれたのも彼だった。
そんな親切で優しい九条に、一瞬――ほんの一瞬だけ、相沢さんを重ねてしまった。声の高さも背丈も体躯も、性格さえ違うのに。相沢さんを忘れるために、ここに来たというのに。
僕は、九条さんに走りたいだけだと告げ、ランニングマシンが並んでいるエリアに行った。九条さんは、何かあったら声をかけてくれと言って、他の利用者のもとに歩いていく。
ランニングマシンには、数人の利用者がいた。でも、他の器具に比べると、人よりもマシンの方が多いと思えるほど空いていた。
人目につかないように、端にあるマシンを選んで走り始める。頭を空にして走っていると、体内に居座り続けていたどろりとした感情が、スーッと消えていくのを感じた。
これで、ようやく解放される。そう安堵した僕は、体力の限界まで走ろうと決めた。
けれど、それがいけなかった。足は、次第に重くなり、息が苦しくなってくる。
『……まだ、終わりじゃないぜ』
突然、相沢さんのまとわりつくような低い声が、耳の奥に響いた。
瞬間、腹の奥が何かを求めるように疼き出した。
「……っ!」
奥歯を噛みしめて、マシンの停止ボタンを押す。
(抗えないのか? 僕は……)
苦い思いを抱えながら、荒い息を整える。
「相馬さん。休憩と水分、ちゃんと取ってください。貴方は、集中しすぎる癖があるんですから、意識してくださいよ」
いつの間にかそばにいた九条さんが、険しい表情でペットボトルを差し出した。
「――っ! ……すみません、気をつけます。でも、よくわかりましたね。僕に集中しすぎる癖があるって」
自分でもあまり自覚していないのにと、九条さんにたずねる。
はにかんだ九条さんは、利用者をよく観察するのが仕事だからと言った。その言葉に、肌がざわざわとして落ち着かない。
「それじゃあ、帰ります」
九条さんとの会話を早めに切り上げ、僕はシャワールームに向かう。
熱めのシャワーで汗を流していると、空腹感を覚えた。そういえば、朝食を食べたきり、何も食べていない。
(……卵焼き、甘くて美味しかったな)
だしの効いた卵焼きが思い出された。優しげな相沢さんの笑顔が浮かび、僕は慌てて頭を振る。
どうして、こんなにも彼を思い出してしまうのか。忌々しく思いながら、美味しいものを食べて忘れてしまおうと気持ちを切り替える。
ジムから出て車に乗り込んだところで、ふと、篝火にはどんなフードメニューがあるのだろうと疑問に思った。よく訪れてはいるものの、今までフードメニューはチェックしていなかった。
確認するのは、後からでもよかった。けれど、どうにも気になってしまう。
「しかたがない、行くか!」
調査のためと自分に言い訳をして、一旦、自宅へと車を走らせる。そこから、徒歩で篝火に向かった。
バーにくり出すにはまだ早い時間帯だからか、周囲は静けさを保っていた。篝火に到着すると、扉には『OPEN』のサインプレートが下げられている。
(あ、よかった。開いてる)
僕は小さく息をつくと、扉に手をかけた。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、マスターの低く落ち着いた声と女性スタッフの明るい声が、同時に響いた。
僕は軽く会釈すると、カウンター席の奥に座った。
「珍しいですね。お客様が、この時間にいらっしゃるなんて」
と、マスターが声をかけてくる。
「ええ、ちょっと……ジムに行っていたもので」
僕は、詳細を省いて事実だけを告げた。さすがに、お宅のスタッフと一夜を過ごして揉めたなんて、口が裂けても言えやしない。
「最近、ジム通いしてる方、多いですよね」
どうぞと、女性スタッフがメニュー表を僕の前に差し出した。ポニーテールが似合う、人懐っこい笑顔が特徴的な美人という印象の女性だ。
僕は、彼女からメニュー表を受け取ると、当たり障りのない言葉を返すだけにとどめた。誰かと会話を楽しむ余裕は、今の僕にはなかった。
僕の心の内を察したのか、彼女は「ごゆっくり」と営業スマイルで告げて、仕事に戻っていった。
マスターも、いつも以上にそっとしておいてくれている。申し訳なく思う反面、とても気が楽だった。
メニュー表を眺めていると、誰かが隣の席に座った気配がした。それだけで、心臓が跳ねた。無意識に体が強張る。僕は、その気配を
触れられていないのに、肌がざわめき、尻の奥が蠢き出す。動揺を悟られないように、気づかれないように、浅い呼吸をゆっくりと繰り返す。
「佳晴さん。もしかして、俺に会いに来てくれたの?」
と、彼が明るく告げる。その声音に、朝食の時のような妖艶さは、まったくなかった。にも関わらず、言外に逃さないと言っているような雰囲気がある。
「……ここのフードメニューが、気になっただけです」
僕は、メニュー表に視線を向けたまま、素っ気なく告げた。
「相沢君、お客様の邪魔にならないようにね」
マスターは、相沢さんにそう釘を刺す。
相沢さんは「わかってますよ」なんて言っているけれど、僕にはどうしても信じられなかった。先ほどから、ねっとりとした視線がまとわりついてくる。
「それで? ご注文は?」
「……ここにいる限り、僕には指一本触れない。そう約束してくれませんか?」
視線を相沢さんに向けた僕は、感情を抑えた声で言った。ノーと言った瞬間に、店を出るつもりだ。
「わかりました。
相沢さんはあっさりと承諾して、恭しく頭を下げた。
何か、含みがあったような気がする。でも、気にしてなんていられない。
「それで、ご注文はいかがなさいますか?」
と、相沢さんにたずねられ、僕はメニュー表に視線を戻した。
いつも飲んでいる甘めのカクテルを選ぶ。けれど、これに合う食べ物がわからない。少し考えて、カクテルに合いそうな軽食を作ってもらうことにした。
「かしこまりました」
と、カウンター内へと移動する相沢さん。
厨房に声をかけたかと思うと、グラスや数種類の酒などを用意し始めた。
思っていなかった展開に、僕は面食らってしまった。
カクテルは、いつもマスターが作ってくれていたからだ。この店ではマスターだけがカクテルを作るものだと勝手に解釈していた。でも、どうやら違ったらしい。
相沢さんは、長めのグラスに準備した酒を入れていく。ずっと見ていられるくらい、手際がいい。
「お待たせいたしました。チャイナブルーです」
出来上がったカクテルを僕の前に置いて、相沢さんがそう告げた。
特徴的な鮮やかな青色が、とてもきれいだ。
続いて出されたのは、プロシュートが乗ったガーリックトーストだった。
「え、これ……このカクテルに合うんですか?」
驚いた僕は、思わずそう声を上げてしまった。
「ええ、意外と合うんですよ」
どうぞと、相沢さんに勧められる。
半信半疑ながら、ガーリックトーストに手を伸ばす。決して、彼の言葉に騙されたわけではない。
カリッとしたトーストの食感が、とても心地よい。バターのコクに、プロシュートの塩味と旨味がプラスされて、食べ飽きない美味しさだ。
咀嚼し、飲み込んだところでチャイナブルーに口をつける。一瞬、相沢さんと目が合った。優しく微笑む彼の頬が、わずかに色づいている気がする。弧を描いた口の端から、舌先がちらりとのぞいている。
「佳晴さん」
甘く低い声で名前を呼ばれ、僕は彼から目が離せなくなった。体が熱い。たぶん、アルコールのせいだけではないだろう。
彼は、口の動きだけで「飲んで」と命じる。
「――っ!」
直後、僕の下半身がどくりと脈打つ。その反動で、カクテルをのどに流し込んだ。
気まずさと恥ずかしさで、彼から視線をはずす。チャイナブルー特有の爽やかさが、口内を洗い流したはずだった。なのに、どろりとしたものが舌の上に広がる感じがする。
「意外と合うでしょ?」
と、相沢さんが告げる。
仕事用の声音で、ごく普通の事を言っているはずなのに、なぜか耳の奥に響く。
「そう……ですね」
話を合わせるように、僕は肯定した。でも、実際には、よくわからなかった。
僕達の会話が途切れたタイミングで、マスターが相沢さんに声をかけた。
「五番テーブルのお客様、お願いね」
手が空いてからでいいからと告げている。
どうやら、注文された商品を持っていく、というわけではなさそうだった。他に何かあるのだろうかと、少しだけ気になる。
(……でも、僕には関係ない)
そう心の中で切り捨てた。
会話は終わったはずなのに、相沢さんは、僕の前から動こうとしない。
「……行かなくていいんですか?」
僕は、率直にたずねた。
「ええ。今は、貴方との時間をすごしていますので」
と、断言する相沢さん。
その瞳に暗い光を認めて、僕はわずかに身をすくめた。怖かったわけでも、驚いたわけでもない。ただ、体の奥が震えるように反応した。
「そ……そういう店じゃないでしょ、ここ」
取り繕うように言葉を紡ぐ。
「それはそうですけどね。でも、俺は、あんたとすごす時間を大切にしたい」
相沢さんは、真摯な声でまっすぐにそう告げた。
「な、んで……!」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、僕はそれしか言えなかった。鼓動がうるさい。
「何でって、俺が、佳晴さんの事を知りたいから」
と言って、彼は僕に手を伸ばしかけてやめた。
それが、なぜか僕の心を締めつける。自分が一方的に突きつけた約束なのに。
「まあでも、佳晴さんにつきっきりってわけにもいかないか。それに……ここじゃ、込み入った話もできないし」
相沢さんは、肩をすくめてそう言うと、僕の目の前に鍵を置いた。
それは、アパートの鍵だった。僕も同じ物を持っている。
「……どういう事ですか?」
僕が訝しげにたずねると、
「個人的に話がしたいんです。俺の部屋で」
と、彼は声量を抑えて告げた。
個人的な話がしたいだなんて、きっと僕を抱きたいだけの口実に決まっている。そんなもの、受け取れるわけがない。
丁重に断ろうと、僕が口を開きかけた時だった。
「相沢君、お待ちかねだよ」
と、マスターが相沢さんを呼んだ。
返事をした相沢さんは、「また後で」と言い置いて、他の客の方へと行ってしまった。
話は終わっていないけれど、仕事中の彼を呼び止めるわけにもいかない。僕は気まずさを抱えながら、彼の自宅の鍵を見つめる。
鍵には、キーホルダーの類はなく、銀色のリングだけがついている。
(失くしそうだけど、気にしないタイプなのかな?)
なんて、何気なく考えていた。
鍵が指先に触れて、僕は慌てて手を引いた。どうして手を伸ばしていたのか、よくわからない。まさか、僕は、本当は彼を求めているのだろうか。
「ぁ……ごめん、汚しちゃった」僕は、荒い息のまま謝罪する。僕の足先の床に、白濁の液体が水溜りのように広がっている。「あぁ、別にいいよ。後で掃除するから。それよりさ、ベッド行こうぜ」「あぇ……ベッド?」「あんたのかわいい顔見ながら、イきたい。いいだろ?」竜希は、そうささやいて僕の耳たぶを甘噛みする。「ん……っ! ぁ……少しだけ、じゃなかった?」「満足させてくれって言ったのは、あんただぜ?」くつくつと笑う竜希は、僕から自身を抜いた。「ひぅ……」ずるりと引き抜かれる感触に、思わず声が出てしまった。「こんなんじゃ、まだ足りねえだろ?」妖艶に告げる竜希に、僕は無言でうなずいた。「だよな。おいで」彼にうながされてベッドに向かうと、優しく押し倒された。「佳晴さん、かわいい。ずっと、俺だけ見てて」竜希はそう言うと、僕の返事を待たずにキスをした。優しく甘く温かいキスに、ゆっくり溶けてしまいそうだ。(僕だけ見てて、竜希……)独占欲にも似た感情が、胸の中に溢れてくる。息が苦しくなるのも構わずに、僕達は貪るようにキスをする。呼吸の一つ、唾液の一滴さえも逃したくないくらいに夢中になっていた。「んぁ……」甘くとろけた吐息が漏れた。舌もしびれている。(このまま、キスしていたい……)ぼんやりとそんな事を思っていると、竜希の唇がふっと離れた。名残惜しくて目を開けると、竜希は瞳をギラつかせていた。本能むき出しの姿に雄を感じて、心臓が跳ねる。同時に、僕自身が硬く反り勃ち、腹の奥が疼いた。「た、つき……」もたつく
注文していたピザが届くと、僕達はいつものように向かい合って食卓を囲んだ。僕の前にはアスパラとベーコンとコーンが乗ったピザが、竜希の前にはペパロニがたくさん乗ったピザが置かれている。いただきますと言って食べ始める。シャキシャキとしたアスパラの食感とベーコンの塩気、それにコーンの甘味がちょうどいい。「佳晴さんのも美味そうだな。一切れちょうだい」「いいよ。そっちの、一切れもらっても?」「もちろん」と、互いのピザの一切れを交換する。もらったピザを一口食べると、ペパロニ独特の肉の味とチーズのコクが口の中いっぱいに広がった。「これも美味しいな」「だろ? 一番好きなピザなんだよね。こっちはどうかな、と。……美味い! これ、好きだ」アスパラベーコンのピザを一口食べると、竜希の顔に満面の笑みが咲いた。「よかった、気に入ってもらえて。このピザ、僕のお気に入りなんだ」「じゃあ、よく頼むんだ?」「うん。たまに、別のを選ぶけどね。期間限定のとか、クアトロフォルマッジとか。でも、結局これに戻っちゃうんだよね」「ああ、それは確かにわかるかも。食い飽きない味だもんな、これ」言いながら、竜希はその一切れを頬張る。そんな彼を見て、ほっとすると同時に笑みがこぼれた。誰かと好きな味を共有できることが、とてもうれしい。それに、自宅で食べるピザよりも、格段に美味しい気がする。(これも、竜希と一緒だからかな)なんて、自然と彼に視線が行く。「どうしたの? そんなに見つめてくれちゃって。もしかして、もう一切れ欲しい?」小首をかしげて、竜希は自分のピザを指さした。「違うよ。竜希と一緒だから、ピザが美味しいなって思っただけ」僕は、わずかの逡巡、思ったままを伝えた。「……そっか。それなら、よかったよ」と、竜希はにやりと口角を上げる。けれど、爽やかな笑顔とも妖艶なそれとも違う。少しだけ、揶揄いが含まれているような感じがした。
カフェを出た僕達は、真っ直ぐアパートへと向かった。その間も、竜希は当然のように愛をささやいてくる。聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいの甘い台詞だ。でも、うれしすぎて自然ににやけてしまう。「もうわかったから、やめろって」「嫌だね。俺がどれだけ佳晴さんを愛してるか、ちゃんと理解してもらわなきゃ」「理解してるから。変に嫉妬して、悪かったよ」「別に、それはいいよ。俺だって、嫉妬してもらえるのはうれしいからさ。でも、俺にはあんたしかいないの。他の奴なんかどうでもよくなるくらい、佳晴さんに惚れてるの。もう、あんたなしじゃ、生きられねえんだよ」ねっとりと告げる竜希の言葉に、僕の体は熱くなり、自身は股布を押し上げるほど主張している。(まったく、運転中なのにな……)僕は、軽く息をついた。早く彼に触れたい、抱きしめたい。焦燥感にも似た思いが込み上げ、ハンドルを握る手に力が入る。もちろん、安全運転は心がけているけれど。「なあ、竜希?」「ん? 何?」「どうして、そんなに僕を口説いてるんだ? もう堕ちてるのに」「さあ? どうしてだろうな?」他人事のように竜希が言った。ちらりと見た横顔には、困ったような笑顔が浮かんでいる。「まあでも、俺があんたに伝えたいだけだから。そんなに、重く考えなくていいんじゃねえの?」明るい口調で問いかける竜希。確かに、深刻に受け止めなくてもいいのかもしれない。「そうだな。竜希が僕を好いてくれてるんだから、それでいいか」「おう。で? 佳晴さんは?」「え、僕?」「そう。俺の事、好き?」「もちろん好きだよ。貴方の隣を、誰にも渡したくないくらいにはね」平然と言ってのける。でも、内心は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。今まで、こんな台詞を言った事なんて一度だってなかった。なのに、竜希が相手だと、言葉が自然と溢れてくる。僕にとって、彼はすでに特別な存在になっていた。
売店に戻ると、竜希に話しかけているらしい二人組の女性が目についた。(もしかして、逆ナンされてる?)胸の中に黒いものが広がる。同時に、指先が冷えていく。気持ちを落ち着かせるように、一度ゆっくり息を吐いた。「お待たせ」と、明るく竜希に声をかけた。「あ、佳晴さん」竜希は、助かったとばかりに顔をほころばせる。「僕の連れに、何かご用ですか?」女性陣に優しくたずねる。もちろん、笑顔を保ったままだ。「あ、いえ……おしゃれでかっこいい方だから、ちょっとお話を聞きたくて」と、ショートカットの女性が臆面もなく話す。「……あっ!」僕が口を開こうとした瞬間、もう一人の女性が声を上げた。見ると、トイレ前でぶつかりそうになった小柄な女性だった。「あぁ……先ほどは、すみませんでした」「いえ、私の方こそ、ちゃんと見てなかったので」「あれ? 佳晴さんの知り合い?」竜希が小首をかしげる。「いや、さっき、ぶつかりそうになってな」事実を端的に告げる。「あの! もしよかったら、この後、食事とかどうですか? 何か、お詫びしたくて」小柄な女性は、申し訳なさそうに告げる。実際にぶつかったわけではないから、そんなに気を遣わなくていいのだけれど。「すみません、お気持ちだけいただきます。僕達、デート中なので、これで失礼しますね」にこやかに、でもきっぱりと言うと、僕は竜希を連れてその場を離れた。科学館を出るまで、僕達は無言だった。竜希は、何となく気まずくて黙っているだけなのかもしれない。でも、僕の場合は違った。心の中に渦巻く黒い感情に、囚われていた。「佳晴さん」竜希に呼ばれたけれど、答えずに車へと向かう。「おい、待てよ。佳晴さん!」彼が何を言いたいのか、何となく分かるよ
デート当日、僕はアラームが鳴る前に目が覚めた。「……楽しみにしすぎだろ」と、自分に呆れる。でも、浮足立っているのは事実だ。(さてと。何を着て行こうかな?)なんて、恋する乙女みたいなことを考える。あれでもないこれでもないと悩み、ようやく服が決まった時には、起きてから三十分ほど経っていた。内心、焦りながら身支度を整える。ちょうど準備が整ったところで、呼び鈴が鳴った。玄関を開けると、竜希が立っていた。相変わらずかっこよく決めていて、胸元には銃弾のネックレスが揺れている。「おはよう、佳晴さん」「おはよう。約束の時間より、ちょっと早いんじゃないか?」自分の事は棚に上げて、竜希にたずねる。スマホの画面をちらりと見ると、約束の時間より十五分も早い。「あんたに、早く会いたかったから」竜希は、爽やかな笑顔で、恥ずかしげもなく答える。「――っ! それは、うれしいけど……」顔が熱い。竜希の顔をまともに見られない。「照れてる佳晴さん、かわいい。とりあえず、飯食いに行こうぜ」僕はうなずいて、彼とともに家を出る。迷わず自分の車へ向かうと、「佳晴さん? 今日は、俺が車出すよ?」途中で立ち止まった竜希が、車の鍵を見せて言った。僕は首を横に振って、運転したい気分だからと告げる。そういう事ならと、竜希は快くうなずいてくれた。車に乗り込んで、どこへ行こうかと話し合う。「んー、そうだな……ファミレスでいいんじゃね?」「じゃあ、プラネタリウム近くで、ファミレス探そうか」そう言って、プラネタリウムがある科学館近くへと車を走らせる。しばらく運転すると、馴染みのあるファミレスのチェーン店が見えてきた。駐車場に車を止め、店内に入る。昼時ともあって、明るい店内は賑やかだった。空いている席に座り、料理を注文する。しばらくす
「んぅ……ふ……」頭の芯が甘くしびれ、吐息が漏れる。いつもなら、このまま押し倒され、体を重ねる流れだ。でも、押し倒される気配はおろか、肌を滑る指の感触さえない。(まだ、しないのかな?)少し残念に思ってしまった。「……それじゃあ、いつ行こうか?」僕から離れると、竜希は何事もなかったかのように聞いた。「ぁ……えっと……」頭がぼうっとして、上手く働かない。そんな事よりも、もっと触れてほしくて竜希を見つめる。「ん? どうしたの?」妖艶な笑みを浮かべる彼に、じれったさを覚えた。「……したい」視線をはずして、ぽつりとつぶやく。思ったよりも拗ねた言い方になってしまった。「んー? 何をしたいのかな?」にまにまと煽る竜希に、「……もう! エッチしたいって言ってるんだよ!」噛みつくように言った。満足そうに笑う竜希。何だか、彼の思惑通りに動かされたような気がしてならない。「まだ決めてない事あるけど、いいの?」「よくない、けど……」ごにょごにょと口ごもる。キスをしたせいで、体が火照ってしかたがない。「なら、決めちまおうぜ。全部終わってからなら、抱いてやるよ」甘やかな誘惑に、僕は無言でうなずいた。深呼吸をして、湧き上がる欲望をなだめる。思考を一旦クリアにして、パソコンの画面に視線を戻した。プラネタリウム施設の開館日を確認する。「あれ? 月曜、休みなんだ?」隣にいる竜希が、残念そうにつぶやく。「そうみたいだね。もしかして、休み取るの難しい?」難しいなら自分がと言いかけるけれど、竜希は首を横に振った。「ああ、それは
(いや、まさか、そんな……あり得ないって!)一瞬、頭によぎった可能性を、僕は全力で否定してカクテルを煽るように飲む。ライチの爽やかな香りが、脳内をクリアにはしてくれる。けれど、目の前にある鍵の処遇については、何の解決策も浮かばなかった。僕は小さくため息をついて、他の席を眺める。カウンター席には、僕の他に一人の男性が座っていた。ボックス席の方に視線を向けると、カップルや友達同士らしい客が複数人いる。そんな中、一番奥の席に相沢さんの姿があった。(あ、いた!)
相沢さんの黒い瞳に、野獣のような剣呑な光を認めて、もう逃げられないと確信した。恐怖を感じながら、心のどこかで楽しみにしている自分もいる。「あ……あいざわさん。おねがい……イかせて……」もう本当に限界で、僕は羞恥心をかなぐり捨てて懇願した。「ふふっ、いいぜ。でも、まだ挿れてあげない」相沢さんは意地悪くそう言うと、僕の足の間に頭を埋めた。「え……? ……あ゛っ!」
彼のペースに流されるままでいいのかと。理性が警告する。「くそっ!」僕は悪態をつき、相沢さんを見据える。「覚悟は決まったか? 佳晴さん」と、相沢さんは勝利を確信したように問う。「……ええ、決まりましたよ。貴方は、僕の心までは自由にできない」それではと、僕は彼に背を向けて歩き出す。「今の幸せじゃない状態が続いても?」彼の言葉に、僕は動きを止めてしまった。『幸せじゃない』それは、僕が常々、思っている事
意識が浮遊する感覚と少しの眩しさに、僕はゆっくりとまぶたを開けた。(ここ……どこだ?)知らない布団の感触に、ふと疑問に思う。視界に写るのは、窓から差し込む日光に照らされた、見覚えのある天井と壁。なのに、周囲にある調度品は、知らない物ばかりだった。「痛っ……!」頭が痛み、思考を邪魔してくる。昨夜は、行きつけのバーで飲んでいた。もしかしなくても、飲み過ぎたのだろう。久しぶりの二日酔いに、僕のテンションは急降下だ。とりあえずベッドから出ようとして、僕は違和感に気づいた。普段はあるはずの、布の感触がない。「……は?」布団の中を確認して、思わず、声が出てしまった。あり得ないことに、僕